今年度は4つの研究会が活動しています、研究会が少しづつ動いていますので報告を楽しみにお待ち下さい。

姫路木綿を勉強する
研究会

今年一年間ではなかなか進むことが出来ませんでしたが、幸いにも
何人かの会員の方の努力で貴重な資料が集まってきています。
わたばたけの会員が、姫路木綿の かたりべ となる日も近いと思います。

★河合寸翁(かわいすんのう)

808年(文化5年)姫路藩藩主酒井忠道(ただひろ)の時の藩の借金は
73万両に達していて、その財政改革を命じられたのが河合寸翁でした。
藩の特産物である木綿に目をつけて、当時大阪の問屋の買いたたきがひどかったので、
木綿の専売制を実施するとともに大阪市場に見切りをつけ
藩が独占して江戸に直接送る方法をとることにしました。
1823年にやっと幕府の役人の了解を取り付けました。
加古川付近は、綿花の大栽培地でした。
農民が収穫した綿を糸にして、綿布を織ると、木綿商人がそれを買い集め
江戸積仲間に売り渡します。江戸積仲間は、晒(さら)しや仲間にこれを回し
晒し木綿にして荷扱い所に送り、ここで荷物受取証をもらい、
藩札を取り扱う御切手会所で、代金の7〜8割りを藩札でもらい、
残金は江戸で品物が売れてから支払われるという仕組みでした。
木綿の専売を取り扱った御国産木綿会所と御切手会所はともに、
姫路の綿町にありました。
藩の借金は、江戸専売を始めてから早くも7〜8年で返済することが出来た
といわれています。
姫路木綿は、技術が優れていたため品質は薄地でやわらかく、
そのうえ、市川や加古川の水質が木綿を晒すのに適していたので、
色が特に白く、姫玉とか玉川晒しと呼ばれ、江戸では、大好評を得ていました。
一部は奥州(おうしゅう)にまで送られていたようです。

(この文章は姫路市が小学6年生に渡す郷土ひめじの本の中からの抜粋です。)

研究会ではこのテキストを元に姫路木綿を紐解いていくことになりました。
資料ご希望の方は、事務局までお問い合わせ下さい。

藍の生葉染めの研究会
2005年9月22日 木曜日に、事務局で藍の生葉染めをみんなで行いました。
また、これは、写真等で紹介させていただきます。

糸紡ぎ織りの研究会
メンバーの方々にも随時講習会を開いています。と、いっても、希望者があれば、
開いているという感じですので遠慮なく申し込んでください。
また、今年度は、飾西高校の一年生と妻鹿小学校の六年生が
糸紡ぎに参加体験してくれています。
飾西高校の生徒は紡いだ糸をたまねぎで染めたようです。

わたの木研究会
随時、飾東と飾西の畑に行ってもらっています。
まだまだ、棉が残っています。私達の大切な棉です。
ひとつひとつ、摘み取ってやってください。
研究はまだまだすすんでいません。
どうして棉の実ができるのかもまだ、調査研究段階です。風か昆虫か。
さてさて、結果はいつになるのか、、、、、お楽しみに。